第4章 トレイニング型授業におけるITの活用方法
本章では、以上のような工夫にITを加えることで実現できる授業形態について論じる。IT分野は日進月歩あるいは秒進分歩であるから、毎年、 ITの使い方も変化する。ここでは、現時点(2014年9月時点)での実践を元にして論じる。
まずもって大切なことは、ITはあくまでも手段であって目的ではないということである。言わずもがなであるが、ともするとITを使うことで授業が改善するという憧憬を抱いてしまう危険がある。しかし、ITあるいはICTは道具であって、それを授業に生かすのは教員であり、学生である。
したがって、見てくれをよくするだけのIT化はまったく眼中にない。本稿が目指す授業の目的、すなわち授業が体育であり、教室がジムになるようなトレイニング型授業の進化と深化のためにITを使うのである。
ITを使うことによって、従来より授業が改悪されては意味がない。ITの導入においては、ITを使うことで従来よりも不便にならないように気をつけることが大切だ。非ITではできていたことがITの導入によってできなくなるという事態は避けたい。
実はPowerPointに代表されるスライドの提示にはそのような側面がある。スライドは当初、医学系、理工系のプレゼンテイションにおいて資料写真、実験画像、図表といったものを提示するのに用いられた写真用スライドフィルムの映写を、コンピューターによって代替したものだ。それが今や、あらゆる分野で使われるようになった。文系の講義において使われるときは、図表などは少なく、文字ばかりが羅列されていることが多い。
スライドが利用されるようになる以前、講義を構成する文字情報は、黒板あるいはホワイトボードに教員が直接記述していた。当然、書くには時間を要する。それは同時に学生たちも一緒にノートに書くために必要な時間を確保することになっていたのだ。
それがスライドに変更された結果、各スライドにはかなり分量の多い文字列があらかじめ記載されている。多くの情報量を抱えた1枚のスライドがパッと表示されるため、学生はいったいそのどこを見たらよいのかとまどう。読んで内容を把握するだけで時間がかかる。そこで教員は、レーザーポインタを使うが、こんどはそれを追うことに忙しい学生は、ノートをうまく取ることができない。たいがい学生たちがノートを取るほどの時間的余裕のないままに次のスライドに移行してしまい、中途半端にノートを取った結果、後で読んでも意味がわからない。結局、ノートを取ること自体をあきらめることになる。
次善の策として、スライドと同じ画像を印刷した「レジュメ」を教員が配布することになる。それを手にした学生は、ノートを取らないだけでなく、レジュメを入手しただけで安心して、講義の内容に身が入らない。講義中にレーザーポインタを追うこともあきらめてしまう。講義がつまらない、と感じるようになり、プロジェクターで映写するために暗くした教室の室内環境が眠気を誘う。
すなわち、教員が善かれと思って情報を提供すればするほど、学生たちは受動的になり、講義内容から遠ざかってしまうのだ。なんともったいないことだろうか。
リアルタイムに情報が追加されていき、それをノートに書き留める時間的余裕もあるという点において、黒板あるいはホワイトボードに勝るものはない。これだけMacやPCとプロジェクターが普及した今日においてもすべての教室に黒板かホワイトボードが設置されているのはそのためである。
しかし、デジタルデバイスを使ってプロジェクターに情報を映写するメリットは黒板・ホワイトボードを超えている。綺麗に描画されたグラフ、各種の写真、資料、Webサイトの情報、映像資料......。そういったものを一括して提示できるメリットは大きい。
そこで、資料の提示にはプロジェクターを使い、リアルタイムに何かを書くときは黒板を使う、という方法がとられる。その場合、両者のメリットを享受できるから、講義を進めるツールの使い方としては最も効果的といえるだろう。
しかし、そのようなスペイスがすべての教室で確保できるとは限らない。使い勝手や見やすさの点から考えても、できることなら両者を一体的に扱える方がありがたい。リアルタイムに自在に手描きできる環境と、電子情報を自由に表示できる環境とが一体となったツールがあれば最善である。
ここで、いわゆる「電子黒板」導入の是非が問われる。黒板を電子化して、黒板のメリットと電子媒体のメリットを合体させるのである。
一口に「電子黒板」といってもその種類は複数ある〈注9〉。描画可能なタッチディスプレイにPCの画面を映す方式、プロジェクターから映写するスクリーンが黒板のように描画可能な方式、既存のホワイトボードに取り付けて描画を検知するユニット式などである。
方式によって差異はあるものの、専用ペンが必要で書きにくい(実際に書いている部位とずれた位置に描画される)、高価、場所を取る、重くて移動に難儀する、ペン入力のために位置調整が必要、PCと専用ソフトが必要、といった難点がある。残念ながら電子黒板は総じて使いにくく見にくい。そもそもPCが必須という点においてすでに使い勝手に限界がある。
そこでiPadを使う。「電子黒板」の一種であるが、PCを使う他の「電子黒板」とは一線を画する使い勝手であるため、それを特に「デジタル黒板」と呼ぶことにする。
手元のiPadの画面がワイヤレスでそのままプロジェクターに映し出される。「MetaMoJi Note」〈注10〉や「MetaMoJi Share」〈注11〉といったアプリを使うと、指やスタイラスペンを使ってiPad上に書く軌跡がそのまま表示されるから、従来の黒板と同じように使える。その軌跡も、デジタルなドットの集積ではなく、リアルタイムで滑らかな曲線となるため、見た目にも美しく、書いた人の筆跡がそのまま生きた軌跡となる。
iPadの画面だから、拡大縮小も容易。今注目して欲しい部分をぐっと拡大して表示し、終わったら元に戻して全体の中の位置づけを再認識する、という見せ方が簡単にできる。それはあらかじめ用意しておいたPDFとかスライドでも可能だし、単なるWebページを表示しているときにも有益だ。法学教育においては、条文を映し出しているときに、注目すべき文言を拡大表示してフォーカスしたり、法律全体のなかの位置づけを俯瞰するといった使い方ができる。
また、4本指で左右にスワイプするとアプリが切り替わるので、たとえば一般的なスライドを映写しながら話を進めつつ、MetaMoJi Noteに移行して黒板に手描きするように説明を加えるといったこともできる。スライドの内容をMetaMoJi Noteに張り込んでしまえば、そこに直接書き込んで説明を補充することもできる。レーザーポインターと同様、画面内の任意の場所を指し示しつつ軌跡が消滅するツールを使えば、レーザーポインターは必要としない。
Wi-Fiを使ったワイヤレス接続だから、教員はiPadを持ったまま、教室内のどこに移動してもiPadに文字や図表を書くことができ、それがリアルタイムに映像としてプロジェクターから投影される。板書と机間巡視を同時に行えるのだ。
iPadの画面が常時、プロジェクターに映されるので、例えばiPadでカメラを起動し、学生がノートに描いた図をそのまま映し出すこともできるし、それをカメラで撮影して手描きで添削したり、何かを書き加えたりする様子をすべてプロジェクターで全学生が観察することも容易だ。
iPad上の「MetaMoJi Note」に書いた内容がそのまま「黒板(と同視しうるプロジェクターのスクリーン)」に投影されると、「板書」の内容は常にiPadの中にある。たとえば授業の途中で質問などが出たときに、「それは3回前の授業で扱ったあのトピックを思い出してみよう」などといいながら、3回前の授業中に描いた「板書」をそのまま表示することができる。
また、授業の進捗に応じて、以前に書いた「板書」の内容をコピーしてペイストし、そこに新たな図を描き加えるとか、図の中のパーツを動かして見せるということが簡単にできる。たとえば有効な契約について作図したものを複製し、こんどは無効な契約の場合はどこが異なるか、ということを並べて見せることができる。また登記や所有権の移転を扱う際に、誰から誰にどの時点で移転したかを明確に動かして見せることができるのだ。
授業中に条文を読む際に、第3章で述べたような具体例の作成、代入、作図といった作業をするには、このデジタル黒板が大変好都合だ。活字で書かれた条文をMetaMoJi Noteに貼り付け、そこに手書きで具体例を書き加えていったり、作図をして見せるという作業を、目の前でスマートにやって見せることができるのだ。
またオピニオンペーパーに書かれている質問は、毎回授業の前に、スキャンした画像から質問部分を抜き出して、MetaMoJi Noteに貼り付けて用意しておく。毎回だいたい10個前後の質問に答えることになるが、実際に学生が書いた直筆の質問文が画面に表示されるから、リアリティが高い。
このように「デジタル黒板」は、従来の黒板・ホワイトボードの良さを失うことなく、デジタルで同様のことを実現できる。あらかじめ素材を用意しておいてパッと見せるのでなく、授業の現場でひとつひとつ実際に教員が書き、描く。その姿を手本として生で見せることによって、学生たちも自ら書き、描くという訓練ができる。
書くというトレイニングするのは学生で、教員はその見本を見せる、という黒板時代に当たり前だったことが、ようやくITを使って実現できる時代が来たのだ。加えて、過去の板書をいつでも見せられるし、WebブラウザでWebサイトを表示したり、動画と音声を流したり、およそiPadでできることはすべて授業の素材として使える。大変有益なツールである。
「デジタル黒板」は安価で、その実現が容易なのも大きなメリットである。準備するものは、「iPad」〈注12〉、「AppleTV」〈注13〉、プロジェクターまたはモニター、Wi-Fiの4つ、それに必要があればスタイラスペン〈注14〉である。
まずAppleTVをHDMIケーブルでプロジェクターに接続し、プロジェクターが映写可能な状態にする。AppleTVをWi-Fiにつなぎ、同じWi-FiにiPadを入れる。するとiPadの画面最下部から引き上げる「コントロールセンター」の「AirPlay」にAppleTVが表示されるのでそれを選択しミラーリングをON。これでiPadの画面がプロジェクターから投影される。あとはiPadで授業に必要なコンテンツを選んで表示すれば良い。
なお、Wi-Fiを使えない環境では、「Lightning-VGAアダプタ」〈注15〉あるいは「Lightning-DigitalAVアダプタ」〈注16〉を使って、iPadからプロジェクターに直接ケーブルで有線接続すればいい。Wi-FiとAppleTVは不要である。ケーブルによって教員の行動範囲が制約を受けるものの、画面は安定して確実に投影される。
その場合、用意するものはiPadとプロジェクター、スクリーンのみ。既設のプロジェクター(とスクリーン)がある教室なら、iPadを1枚(および上記アダプタのいずれか適切な方)を持参するだけですぐに「デジタル黒板」を始めることができる。非常に安価に実現できるし、専用の機材を必要としないから無駄も生じない。運搬はiPadのみなので軽量。資料の作成も容易だ。
黒板として使うには、アプリ「MetaMoJi Note」を起動すればいい。普通の黒板同様の使い方ができるのみならず、拡大縮小表示が容易だし、過去の板書や別の科目で書いた内容を表示することも簡単だ。
さらに「MetaMoJi Share」を使うと、普通の黒板では到底実現できないことができる。教員のiPadで書いている画面を、リアルタイムで他のiPhone/iPad/Android端末に表示できるのだ。まず教員が黒板として使っているファイルを、メイルやクラウドを通じて学生が持っているiPhone/iPad/Android端末に配布する。すると教員が書くたびに、同じ内容が学生の画面にも表示される。インターネットに接続していればいいから、同じ教室にいる必要もない。遠隔授業でもリアルタイムで画面を共有できる。
さらに「MetaMoJi Share」内で学生に発言権限を付与すると、学生が書き込んだ内容が他の全員の画面にも反映されるようになる。すなわち、教員だけが書いて見せるという使い方だけでなく、学生の側からの画面上に発言して、それを全員でシェアできるのだ。学生の参加を積極的にする環境が簡単に構築できるのである。
この機能は、講義よりもゼミのような小規模なクラスでより効果的である。全員がiPhone/iPad/Android端末で同じ黒板を共有しつつ、議論しながら書き込んでゆくことができる。また論述を相互に読みあって添削するような場合にも有益だ。
授業のIT利用では、グループチャットシステムも有益である。筆者は過去数年にわたって、サイボウズLive〈注17〉、Facebookグループ〈注18〉、ChatWork〈注19〉といったWebサービスを使ってゼミ的なクラスのコミュニケイションを行ってきた。コミュニケイションのインフラができることで、時間外にも学生たちの知的な交流が生じる。
例えば、ロースクールの授業で27名の履修者による「秘密グループ」をFacebookに作成したところ、授業で出した課題を1週間かけて履修者同士で検討したり、個々人の見解を述べたりする場として大いに利用された。週1回90分の授業時間よりも、残りの7日間の方が議論が進捗するかに見えるほどである。
現在は、すべてのゼミとゼミ的なクラスにおいて、ChatWorkを利用している。学生たちが無料で使えて、メイルアドレス以外の個人情報を入力する必要がなく、広告表示もほぼない。ブラウザとiPhone/iPad/Android端末の両方で使える安定したグループチャットサービスだ。たとえば1年生対象の「民法1B発展講義」では開始日に履修者35名全員のグループチャットを作成。課題問題の配布、学生が作成した答案の共有などに使っている。また6つの班それぞれのグループチャットも学生自身で作成して、班ごとの議論に用いられている。
LINEのように学生たちが日常的に使っている仕組みではなく、授業用に特別な環境を用いることによって、日常会話とは区別することができる。またChatWorkはすでに書き込んだ内容を編集することもできるので、一旦提示した見解を後から修正することも容易だ。
現在のゼミ的な法学教育において、もはやグループチャットシステムの利用は不可欠といって良い。これがあるおかげで、従来だと毎週の課題に対して班ごとに提出し、全員分プリントして配布する必要があった班ごとのレジュメをすべてChatWorkで共有することができ、紙をまったく使わないでゼミを運営できている。他のゼミにおいても、資料の配付等はすべてChatWork上にPDFをアップロードして共有している。
この他、上級生のゼミでは、「Evernote」〈注20〉がよく使われている。学生たちが収集した資料はEvernoteに入れて、班の中で共有。また報告用の原稿などもEvernoteで書き、ゼミの場ではそのままEvernoteのプレゼンテイションモードを使ってプロジェクターで映写しながら報告している。
また、ゼミの各メンバーが判例研究の成果を執筆するにあたり、原稿を共同で編集する際には、「Google Drive」〈注21〉が使われている。大学などひとつの場所に集合しなくても、各メンバーの自宅などからMac/iPhone/iPadの「メッセージ」やFacebookメッセージでチャットしたり、Skype22等で音声で会話しながらGoogle Drive上の原稿を共同編集することによって、各人の意見が反映された原稿を練り上げていけるのである。
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